北米開教区

2022年の活動

[報告]  2026/10/13

2021年の大晦日、恒例の除夜1時間念仏会はハイブリッド形式で半分の30分の別時として勤めました。翌日、2022年元旦修正会と終日続いた初参りでは、新年を祝い約120名の方々が本堂を参拝しました。当時マスク着用義務が免除されましたが、それでも多くの方々がマスクで口を覆っていたことが思い出されます。

前年に続き2022年を通じて、定例法要はすべて対面とリモート併用のハイブリッドで勤めました。パンデミック以前に比べるとまだ少数ですが、徐々に信徒の方々が本堂参詣に戻りつつある様子に触れ、心強く思います。すべてのサービスで、参詣者の先祖諸精霊の極楽での仏道成就を念じ回向の十念を称えます。参詣者は自分の先祖の回向の時のみならず、他の方の回向でも全員で十念を捧げますが、浄土宗の法要において最も美しく印象的な場面です。ただし、この一面は「先祖供養」として西洋ではやや否定的に受け取られることがあります。「死者にのみ関わっていて、今生きている人には直接関係ない」と見られるためです。日系アメリカ人の方からも同様の疑問を受けることがあります。そんな場合、よく次のような話をします。

「私はできませんが、いつでもどこでも、常に仏さまの顔を脳裏に浮かべられることのできますか?」と聞くと、皆できないと答えます。仏さまの顔を常に脳裏に思い浮かべるなど、簡単にできることではありません。しかし、「親や兄弟、子どもやパートナーなど、愛しい人々の顔はどうですか?」と聞くと、皆できると答えます。愛しい家族の顔は、生活を通じ脳裏に焼き付けられているからです。

仮りに死後の旅路を、標識も何もない真っ暗闇に放り出されることとしてみます。浄土教では、阿弥陀仏はどこにいる誰の念仏も聞き逃すことなく、慈悲の光で照らされると言います。真っ暗闇の中に光を見つけるのはどれほど心強いことでしょうか。向かうべき方角が示されるのです。それだけでなく、阿弥陀仏は多くのお弟子と共に、極楽より死者を迎えに来られます。「もしそのお弟子たちの中に、自分の脳裏に焼き付いている愛しい方々の顔を見つけることができたら、どれほど心安く、光に向かって歩むことができるだろうか?」

自分の臨終の場面、すなわち自分が死後の闇の中を歩むことを想像する時、「先立たれた愛しい家族が極楽に生まれ、そこで阿弥陀仏の弟子となられていること」は他の何よりも重要な意味を持つはずです。浄土宗のサービスは先立たれた方々と今生きている自分を結び付けています。あとは、「それを信じ念仏を称える人になるか否か」だけですが、ここだけは個人と阿弥陀仏との間の問題であり、「信仰の飛躍」が必要です。

寺としては、「信仰の飛躍」の助けとなるよう、あらゆる機会に「十念」を勧め、一人一人が阿弥陀仏に親しむ機会を提供する努力を続ける以外にありません。

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