ハワイ開教区

ハカラウ戦没将兵追悼法要

[報告]  2017/5/29

米国では、5月の最終月曜日は戦没将兵追悼記念日(Memorial Day)という祝日です。各地で記念行事が行われます。

ハカラウ浄土院では毎年、追悼記念日直前の土曜日にハカラウ地区の戦没将兵追悼記念法要を主催しています。場所は旧ハカラウ小学校にある戦没将兵記念碑です。ハカラウ浄土院主任が法要をし、来賓の退役軍人が演説をし、法要後は車で3分ほど海側にあるハカラウ浄土院で参加者にホットドックを振る舞うのが習わしとなっています。

今年は二十数名の参加者がありました。

ハカラウ・ニノレ地区の戦没将兵記念碑には、第一次世界大戦1名、第二次世界大戦12名、朝鮮戦争1名、ベトナム戦争2名の名が刻まれています。第二次世界大戦戦没将兵12名は全て日系人です。

日本人による本格的なハワイでの出稼ぎ労働は1885年に始まりました。1924年に日本人移民が禁止されるまでに十数万の日本人がハワイに渡り、およそ半分は帰国、ハワイに残った人々のほとんどは日本人同士で結婚し、概して子沢山でした。1900年代前半には、ハワイの総人口の4割ほどを占めるようになりました。

1941年の真珠湾攻撃でハワイ日系人の立場は暗転しました。日系仏教寺院の開教使を含む主だった日系人数百名は本土の収容所に送られました。開戦当時兵役にあったハワイ日系人兵士1400名も開戦から半年後に隔離のために米本土に送られ、100大隊と名付けられ、訓練を受けます。訓練の結果が非常に優秀だったため戦闘参加が認められ、1943年9月にヨーロッパ戦線に投入されます。同時にハワイと米本土で日系人志願兵が募られ、3800名の442連隊が編成されました。

100大隊は奮戦し、やがて442連隊戦闘団が派遣されて合流し戦闘を続け、数百の戦死者とのべ数千の負傷者(死傷率314%)を出し、18000の勲章を授与されました。

彼らは敵性国民として苦境にあった日系人の名誉回復のために文字通り命をかけて戦い、死に、偏見の改善に大きな役割を果たしました。

ハカラウ・ニノレ戦没将兵記念碑の第二次世界大戦戦没将兵はそのなかの12名です。

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文責 ハカラウ浄土院兼務主任 宮崎潤心

 

 

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