ハワイ開教区

ヒロ明照院旧本堂写真

[報告]  2017/8/3

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先週ヒロ明照院にお越しになったお客様に送っていただいた写真です。お客様は米本土から来られた日系人の女性とその弟さんです。

昨年初め頃この女性からヒロにあるハワイ・ジャパニーズ・センターに、100年ほど前にヒロに住んでいた祖父・名草紀智について調べているので協力を願う旨連絡がありました。名草氏はヒロで弁護士のような仕事をしていたらしい、ヒロ時代の写真が何葉か残っていて、その中にはお寺の前で写したものもある、とのことでした。

ハワイ・ジャパニーズ・センターは日本文化会館のような施設で、古い日本の道具類や書物を所蔵しています。そのころ私はそこの日本語蔵書の整理のお手伝いをしていました。センター所蔵の、ヒロで発行されていた日本語新聞「布哇植民新聞」の1912年分の縮刷版やヒロの人物関係の書物などに目を通したところ、名草紀智氏についての記述がいくつかみつかりました。いわく、名草紀智氏はヒロで市民権登録事務所(現在でいうところの移民弁護士)を開いておられ、地域の社会活動や俳句にも熱心であった、とのことでした。センターが資料の写しを英訳と併せてその女性に送ったところ大変喜ばれ、近いうちにヒロに行きたいとのお返事がありました。

その後、米国その他で発行されていた日本語新聞をスキャンし公開しているサイトを見つけました。上記の「布哇植民新聞」もおよそ5年分全てが所蔵してあります。その中の「布哇植民新聞」明治44(1911)年6月23日号に、「明照院の落成式と入仏式」という記事があり、同24日に予定されているヒロ明照院落成式と25日の入仏式の式次第が載っていて、名草紀智氏は世話人総代かつ落成式司会者としてお名前がありました。

植民新聞2植民新聞1

私の手許にあるハワイ浄土宗関係の資料に名草氏のお名前は全くなかったので、これには驚きました。このことをその女性にメールで伝え、ヒロにお越しの際は名草氏がお寺の前で写した写真を拝見したい、とお願いしました。

先週その女性と弟さんがヒロに来られたので、明照院にご招待いたしました。その際持ってきていただいたのが、上に載せた2枚の写真です。

完成直前の明照院本堂の前に、名草氏と開山上人清水観碩先生が立っています。

1960年の津波でヒロ明照院は移転を余儀なくされましたが、ご本尊や須弥壇や一部道具類は開山時のものです。100年を経て世話人総代のお孫さんにお参りしてもらえて、感無量でした。珍しいこともあるものです。

文責 ヒロ明照院主任 宮崎潤心

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