ハワイ開教区

ハカラウ浄土院涅槃会・新年会

[報告]  2017/2/28

2月25日ハカラウ浄土院にて涅槃会と新年会が行われました。

50名ほどがお越しになりました。ハカラウは護持会員が20ほどですので、50は大人数です。

ハカラウ浄土院はかつて砂糖農場の住宅地の中にありました。古参の護持会員いわく、かつては数百の檀信徒があったそうです。砂糖農場の廃業にともない、地域は衰退しました。私がハワイに赴任した十数年前、ハカラウ浄土院はジャングルの中にあったのを覚えています。のちに宅地造成が行われ、現在ハカラウ浄土院周辺には新しい家が多く建っています。そのような新しいご近所の方々も3家族ほど(みな白人)お見えになりました。喜ばしいことです。

涅槃図ハカラウ        ハカラウ新年会

明照院から借りた涅槃図      ここでもビンゴ

 

新年会といえば、前の任地で寺報にShinnenkai(新年会)と書いたところ、ある二世のお檀家女性に「Shinnen enkai(新年宴会)でないの?」と言われたことがあります。すると隣に座っておられた日本生まれで戦後ハワイの二世と結婚されたお檀家女性が「たしかに昔は新年宴会と言ったものです」と仰せになりました。

一世(Issei) は一般に1885(明治18)年から1924(大正13)年の間にハワイに来た日本人移民のことをいいます。  多くは広島・山口から来ました。次いで熊本、沖縄、福岡、新潟、福島からも比較的多数の移民がありました。二世は一世の日本語を聞いて育ちました。アイロンは「火のし」、封筒は「状袋(じょうぶくろ)」、結婚の斡旋は「心配(しんぱい)」、元気は「まめ」、簡単は「みやすい」です。広島・山口が多いことから、「もう済んだね」は「はあ済んだの」、「早く帰ろう」は「はよいのや」と言います。

一世はいずれ日本に帰るつもりの方が多かったため(実際に半分ほどは帰国)、二世の多くは日本語学校に通わされました。開教使は日本語学校の教師を兼ねることが多く、センセイと呼ばれました。いまでも「センセイ」といえば宗派を問わず日系仏教寺院の開教使のことを指します。

今日のハカラウ新年会にお見えになった二世のお檀家女性に「まめですか?」と尋ねると「センセイ、齢取ったらつまらん。こんなに齢取ったらはあ取るとこがない。」と元気に仰っていました。

二世と話すのは楽しいです。皆様もハワイにお越しになる機会があれば、二世とお話ししてみてください。

文責 ヒロ明照院駐在・カーチスタウン浄土院ハカラウ浄土院兼務主任 宮崎潤心

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