ハワイ開教区

カーチスタウン浄土院涅槃会・新年会

[報告]  2017/2/16

2月12日、ハワイ島カーチスタウン浄土院で涅槃会と新年会が行われました。

涅槃会には二十数名、新年会には40名ほどがお見えになりました。開教区調査のためハワイに滞在中の大正大学大学院在学中の中村悟真上人(宮城)も参加されました。檀家さんが作ったり皆が持ち寄った食事と、ビンゴゲームを楽しみました。

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新年会には普段お寺にお参りされない方もご招待します。そうした方々のなかに、ヤスタケ教団理事長の友人スティーブさん夫妻がおられます。スティーブさんはポルトガル系で、カトリック信者です。ヤスタケ理事長の頼みに応じてしばしば建物の修繕などを手伝ってくださいます。「僕はクリスチャンだから誰でも手伝う」のだそうです。頭が下がる思いがします。

なお、ハワイではポルトガル系は白人とはみなされません。白人はハワイ先住民の言葉でハオレと呼ばれ、ポルトガル人はハオレではなくポチュギース(英語)と呼ばれます。ハワイは独立王国でしたが、1800年代半ばにアメリカから来たハオレがハワイの土地を私有するようになり、砂糖プランテーションが多くつくられました。ハオレは世界各国に労働者を募る手紙を書きました。アジアからは初め中国人が、続いて日本人やフィリピン人が出稼ぎに来ます。ヨーロッパからはポルトガルからまとまった数の移民が来ました。ポルトガル人の多くはプランテーションの監督官や管理職として採用されました。こうした事情から、プランテーションでは大まかに地主であるハオレ、管理職のポチュギース、その他労働者(中国系、日系、フィリピン系)という序列ができました。

ハオレと聞くと、私がかつて勤めていたハワイ島コハラ浄土院の檀家さんから伺った話を思い出します。彼は日系二世で、第二次世界大戦ではかの442部隊の一員としてヨーロッパ戦線で戦いました。1920年前後のお生まれだと思われます。いわく、子どもの頃ハオレは神様みたいなもので、その姿を見たことはほとんどなかった。軍の訓練のため米本土のある基地に配属されたとき、生まれて初めてハオレが肉体労働しているのを見た。大変驚いた、と。

この方は数年前に亡くなりました。お浄土で真っ先に再会したい人の一人です。

 

文責 ヒロ明照院駐在・カーチスタウン浄土院ハカラウ浄土院兼務主任 宮崎潤心

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