邦字新聞デジタルコレクション
[お知らせ] 2018/5/31
以前ご紹介しましたスタンフォード大学の「邦字新聞デジタルコレクション」に、さらに多くの新聞が加わり、検索性能が改良されました
https://hojishinbun.hoover.org/?a=p&p=home&e=——-ja-50–1-byDA-txt———
このウェブサイトは北米で発行された戦前の日本語新聞をスキャンして公開しているものです。
そのなかに「布哇植民新聞」という新聞があります。1909(明治42)年から1913(大正2)年までヒロで発行された邦字新聞です。ヒロ明照院は1911(明治44)年開山ですので、その頃の記事を見ることができます。
例えば1911(明治44)年5月22日発行の布哇植民新聞7ページ左下に、「ヒロ市浄土宗寺院創立基本金寄付者芳名」という記事があります。
この写真左側に「清水観碩」とあります。ヒロ明照院の開山上人です。清水上人はヒロ郊外にあったワイナク浄土院の第2世で、橋本幸右衛門宅に身を寄せて寺院建立に奔走された、という記録があります。その橋本幸右衛門の名も写真左から3列目に見えます。この一覧にある中本幸太郎、町田友三、河野友吉、中本栄吉といった人々の子孫はいまでもヒロ明照院の護持会員です。
同じ記事の続きです。ほぼ中央に「湯尻法眼」とあるのは、ヒロの真言宗寺院法眼寺の開山上人です。真言宗のお上人様が浄土宗の設立に30ドルを寄付されたのです。同じ日の新聞に、浪花節木戸賃25セント、汽車賃ヒロープナ間上等往復180セント、この新聞は1部5セントとあります。30ドルは結構な額です。法眼寺現住職にこの記事をメールで送り、あらためてお礼申し上げたところ、笑っておられました。
最近この「邦字新聞デジタルコレクション」に追加された出版物に、「法友」があります
浄土宗ホノルル布教場発行の月刊冊子で、1906(明治39)年8月号に第5号とあるので、同年4月に発行が始まったものと思われます。
この当時のハワイ浄土宗はハワイ島に7ヶ寺があったのみで、教務所はラウパホエホエ浄土院にありました。ホノルルは布教場でした。
このウェブサイトの担当者である上田薫教授は、「法友」は東京の、お寺とは無関係の方から提供していただいた、と仰せでした。まことにありがたいことです。
皆様も是非、戦前北米にいらしたご親戚やお知り合いを検索してみてください。検索する言葉や名前を、”浄土宗” のように ” でかこってお使いください。
また、戦前に北米で発行された日本語新聞や「法友」をお持ちの方がいらしたら、gongqi326@hotmail.com までご一報ください。
文責 ヒロ明照院主任 宮崎潤心