ハワイ開教区

ヒロ明照院の松植え替え

[報告]  2017/3/21

ヒロ明照院では境内地に賃貸物件を建てることになりました。3月18日、建築予定場所である本堂正面にあった松を本堂脇へ植え替えました。松は篤信家三兄弟(故人)からの寄進で、亡くなるまで大切に手入れをしておられました。根付くのは難しいそうですが、頑張ってほしいものです。

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移植前        移植後

 

同じ日に、集会堂ではハワイ島山口県人会新年会が行われました。ヒロ明照院護持会員は山口県出身者の末裔が多く、山口県人会の新年会は毎年ここで行われています。

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山口県人会新年会   ここでもビンゴ

 

100人ほどが集まっておられました。

ハワイ移民(一世)を出身県別でみると、広島と山口が突出しています。

1881年ハワイ王国カラカウア王が外国の元首として初めて日本を訪れ、砂糖農場の労働力の提供を求めました。そのための条約が結ばれ、日本政府は「3年で400円貯蓄が可能」と謳い、ハワイ出稼ぎの公募を行いました。大卒初任給10円、巡査初任給6円、大工の手間賃1日50銭の時代ですから、まことに結構な話です。600名の募集に対して28000の応募があったそうです。1885年、第1回移民船でハワイに渡った944人のうち、山口県出身者420人、うち周防大島出身者が300人弱でした。当時の外務卿・元長州藩士井上馨の影響力が非常に大きかったようです。その後も山口県、特に周防大島からの移民は続きます。ハワイで「オーシマ」といえば周防大島のことです。

実際のところ「3年で400円貯蓄」は大変難しく、移民の半分はハワイに残り日系人社会の礎となりました。

ヒロから車で1時間ほどのところにあるハマクア浄土院は1896年に建立されたハワイで最初の仏教寺院です。開山上人は周防大島西蓮寺の岡部学応上人です。山口県出身者の協力が得られたことが大きかったようです。

ヒロ明照院第2世原哲雄上人(1920−40)は周防大島出身、第3世日野秀瑞上人(1940−64)も山口県出身です。歴代教団理事長も山口県出身者とその子孫が多いです。

Rev. Hara & Hino     presidents

原先生と日野先生     教団理事長

 

翌19日は彼岸会でした。カーチスタウン浄土院とハカラウ浄土院は3月12日が彼岸会でした。

文責 宮崎潤心

ヒロ明照院主任・カーチスタウン浄土院ハカラウ浄土院兼務主任

 

 

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